高津区版 掲載号:2016年3月18日号 エリアトップへ

高津物語 連載第九三七回 「大山街道の歴史」

掲載号:2016年3月18日号

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 稲毛三郎重成が源頼朝の命令で、多摩川洪水により西と南に分割される前の、七面山々頂に作延城を造成した時に、創建したのが第六天魔社であった。

 「天魔」とは仏教で、十魔の一つとされ、四魔―煩脳魔・陰魔・死魔・他化自在天魔、の一種。天子魔ともいわれ、仏道の妨げになる第六天の事をいう。

 建久三年(一一九三)後鳥羽院から引き継ぎ、上州赤城山の霊夢(神仏のお告げが現れる不思議な夢)を見た源頼朝は、「赤城大明神」と名付け、これにより再三述べる様に、七つの神社、仏閣が造られる事となった。

 恐らく七面山頂上に建ち、中心であったであろう赤城神社本社社殿、それと八幡神社本殿、他一社も、七面山の中心にあったであろう。もう一つ「久本赤城神社」は、多摩川の洪水によって押し流され、現在は、離れて久本山にある「赤城神社」となって居る。

 溝口宗隆寺と溝口神社、久地浄元寺、上作延赤城神社と延命寺、それらは「宗隆寺」住職の島田堯存氏編集の『改宗五百年を迎える溝口宗隆寺』誌によれば、明応四年(一四九五)九月の中世末期、何もない大山街道、溝口の町づくりのきっかけを作った(下小田中の安楽寺が造られたのが天文四年(一五三五)であり、ほぼ百年早い)。

 北条早雲が伊豆の堀越公方を滅ぼし、韮山に進出、翌年には関東進出を目指して小田原城を奪取したのもこの年であるが、大山街道も未整備の中、溝口の知行者は、宗隆寺住職となった階方(かいほう)新左衛門であった。

 「階方」を「海保」と併記する理由が判らないが、名字を様々に書けて、読めた時代、人の名も多様な書き様があった、と思われ、正直どちらでも良かったのではあるまいか。

 「時代は伊豆・相模・武蔵の新興国には、有力な国人は少なく、ほとんど大名といってよい程の者もいた。」(『後北条氏』鈴木良一著、有隣新書)

 かくして、早くから開けた東海道神奈川宿の醤油業、海保新左衛門が、日蓮宗住職となり、大山街道「溝口宿」の知行者となった。
 

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