高津物語 連載第九四五回 「三田家の長屋門」
何年か前に下作延三田家長屋門を取材した記事を『高津物語』登場寸前で取壊しにあった経緯があり、残念に思っている。
高津区内の長屋門は、小林昌人『川崎の民家』―財団法人川崎市文化財団発行の「かわさき叢書」シリーズに写真と共に掲載されているが、同書六―附属建物・水場・庭・屋敷林の筆頭に、往時の写真と共に掲載されている。
都市化が進行し、古い文化財が悉(ことごと)く見られなくなくなった今日では、極めて貴重な記録となり、往時を彷彿できる物は極めて少なくなってしまい、残念でならない。
長屋門とは、江戸時代武家門として造られ、倉、物置、納屋等と一つ屋根で連結し、長屋門方にした両袖型、片袖型、納屋門型があった。
小林氏の調査では市内に昭和六十年代時点で十七棟の長屋門があった由であるが、一棟は放火で、一棟は子供の花火が発火、両袖部分が焼け、通り門だけ修復されているという。
高津区内では久地川辺家、子母口伊藤家の長屋門が健在であるが、写真の下作延三田家長屋門は、向かって左側に土蔵と物置、右側が物置となって居る「長屋門」で明治時代に建てられた。
茅葺き屋造り、向かって左側は穀蔵、その脇の土庇は稲架収納、右側は物置、武者窓があり武者門風、南表は粗樫のクネで風除け、との小林氏の写真説明があり巻末の「掲載写真一覧」によると、「長屋門 三田 理家 高津区下作延」は昭和三十四年二月二十二日に撮影されたもの、という。
小林氏は「多摩丘陵はなだらかで、緑豊かな山並みが幾重にも連なって、果てしなく広がっていた」と昔の高津を彷彿させる、美しい文章を書いている。そんな時代も確かにあった。
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