高津物語 連載第九六〇回 「戦時下の高津(二)」
戦時中のことは、知る由もなかった幼年時代であった。後から調べて吃驚したことがある。
川崎は他の都市に比べて物価が三割から四割も高く、「工都の物価問題と消費調査について」――山下昇龍『川崎産業月報』、四〇年六月に砂糖、七月に豆炭、八月に米、という様に次々と生活必需品が切符による配給になった。
四二年になると、更に衣料、味噌、醤油、石鹸、薪という風に、次々に配給品目が増えていった。
忙しい主婦の生活に更に「配給取」という仕事が加わった。特に町会役員や隣組の組長は、役場からきた切符を町内に配布し、配給所まで品物を取りに行き、世帯ごとに分けるという煩雑な仕事が、主婦の肩に掛かってきた。
町会長や組長は一応戸主である男の名前になっていても、実際は主婦の仕事になっていたからである。
この「切符」を配布する業務が「第二町内会事務所」の仕事だった様だった。
当時の「生活用品購入切符の配給機構表」を見ると、「食料品―砂糖」は「乳児用砂糖―一人一ヶ月・五斤」で申請は町会長の証明を要し、三カ月分宛市役所にて交付された。
「ミルク」(一才未満の乳児)も「普通用」、「特別用」(一才以上及び患者用)共に「町会長の証明」を得て申請し、三カ月分宛市役所で交付された。
他に「燃料類」の「木炭」「豆炭」、「衛生用品」の「衛生綿」(出産用)「ガーゼ」(出産用)も、医師及び産婆の証明がないと区役所で交付してくれなかったし、「綿製品」は「綿ネル、晒(出生子用)」は、「一人各一反」宛、出生届出の際役所で交付され、「手拭・タオル(家庭用)」は、神奈川県が発行し、市役所により各町内会に按分交付し、町会長は抽選その他の方法により配布した。
「学童用品」の「運動靴」「靴下」「小学生服」は「小学生・女学生用」共に「一人五ヶ月に一足」、「靴下」(尋常小生用)は「一人一ヶ年に長一足、短二足」、「小学生服」(尋常小男生用―量一定セズ)も、県発行、市役所より各学校長に按分交付し、学校長は順次生徒に配布した。
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