高津物語 連載第九六六回 「学徒勤労動員」
「国家総動員法」は、昭和十三年に公布された。
戦争遂行のため国民の総力を結集する目的で制定された法律で、毎日の学習は急に厳しくなる。毎朝全校児童が皇居に向かって敬礼をした。昭和十六年四月、小学校は国民学校となり、十二月八日太平洋戦争が始まった。
昭和十七年六月のミッドウエー海戦で海軍は大打撃を受け、昭和十八年二月ガダルカナル島撤退、四月山本五十六連合艦隊司令長官の戦死。五月アッツ島玉砕と戦局は厳しくなった。
昭和十八年六月「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定、男子生徒の軍事教練を徹底させ、女子生徒は看護救急学習の指示をされた。同年十月には「教育に関する戦時非常措置方策」が決定され、勤労動員の日数を年間の三分の一に延長、昭和十八年十月二一日には、雨の明治神宮外苑競技場で「学徒出陣壮行会」が行われた。
昭和十九年一月「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定。更に同年三月、「決戦非常措置要綱ニ基ク学徒動員実施要綱」決定、原則として「中等学校程度以上ニ付今後一年常時之ヲ勤労其ノ他非常任務ニ出動セシメウル組織態制」を置く事を指示した。
「学徒勤労報国隊」が、日本光学川崎工場に昭和十九年七月、厚木高女三年生が「学徒勤労動員令」が出て、満員の小田急線で、朝八時半、武蔵溝ノ口駅下車。カーキ色の作業服に靴、頭に「神風」の鉢巻を巻いた少女達が駅頭に整列、「キオッケ、番号一、二、三」と点呼、「前へ進め」と日本光学各工場へ向かった。「厚木高女学徒勤労報国隊総員○○名、只今到着しました」と報告敬礼、光学兵器のビスを黒く塗る作業等を行い、三時の「わかめや、昆布入りの雑水」は、何よりの御馳走として食べたというが、溝口の昭和二○年冬期はことのほか寒かったという。
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