高津区版 掲載号:2017年1月27日号 エリアトップへ

高津物語 連載第九八一回 「高津銀行」 

掲載号:2017年1月27日号

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 太平洋戦争下、我国の各市町村に「隣組」という住民組織が出来上がり、これを「町会」と呼び、住民相互の共助共援を旨とした。

 溝口第二町会は、東京から大山街道を直進、飯島商店の大釜・六軒町を過ぎると溝口に入る。その六軒町右側―読売新聞溝口専売所から、「武州茶の田中屋」「旧灰吹屋蔵」、旧高津警察署・高津郵便局跡地の「調剤薬局」迄の一帯をいう。

 問題は瀬戸内晴美『かの子撩乱』に出て来る「高津銀行」が、現『たなかや写真館』前の休憩所(旧魚庄)から、川信駐車場(元東京電力高津営業所)迄、「田中屋総本家」(鈴木清助)の広大な地所であり瀬戸内晴美―東京女大生の卒論『かの子撩乱』に登場する「高津銀行」の地所であった。

 この総本家を囲み、分家の「タナカヤ呉服店」と「武州茶の田中屋」があった。

 小林孝雄『神奈川の夜明けー自由民権と近代化への道』(多摩川新聞社)を読むと「鈴木真成」という名が出て来る。この人が「溝ノ口村戸長」を務めた程の立派な人格者で「田中屋本家」を代表する人物で、とりわけ俳句を好み、自由民権運動が句会を育てたと巷間、言われるに至る原点がある。

 がその子どもー清助という人が博打に興味があった。高津銀行頭取職に在り乍ら博打で負け込み、預金者の金を使込んだ。「取付け騒ぎ」が起こり、家屋敷は全て預金の抵当に持ち去られ、田中屋本家は消え、家族は町を追われ行方不明―

 かつて「見て来た様な嘘を付くな」と我家で叱責を受けた。責任の一端を担う身内としての生き方を、指導されたものである。

 大山街道に「ハカリ田中」と「タナカヤ呉服店」「たなかや写真館」が残った。大貫初子女史は、東京女大生瀬戸内晴美さんに、この事情をすべて話され卒論『かの子撩乱』となった。

 「立正学園溝口幼稚園」の土地も又、冒頭でふれた様に田中屋本家鈴木清助の土地であった。(筈だった)

 大山街道溝口四つ角から溝口緑地迄、「田中屋本家」の広大な土地が続いた。

 だから上田家と共に関東大震災後、高津小学校と高津町立実科女学校(現川崎市立高津高校)の女子教育の先駆用の校地を提供、高津町の発展のために、尽力した筈であった。が親族一人の不心得者の為、不幸奈落の底に落ち込んだ。
 

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