連載第一〇二七回 「数学恐怖症」 高津物語
戦争のない時代に生まれたかったと思う。
小学生の頃、戦争が何であるかも分からずに過ごしていた。もっとも、分かろうともしなかったから、いけなかったのだ。
私は小学校三年生の時、学校に行かずお寺で遊んで過ごした。四年生で溝口に帰り、九九や割り算を皆が知っているので驚いた。自分だけが置き忘れられた存在だった。大事な時期に、初等教育で基礎から数学は学ばなければ理解できる訳がない。
三年生で戦争が始まり疎開、四年生で帰宅して吃驚(びっくり)。戦争のせいで勉強できなかった。でも、自分が悪いと思って頑張った。
九九等、疎開の寺子屋で学びたかったと思う。でも私はお寺で「轟沈(ごうちん)」等の歌をオルガンに合わせて歌って一日を無駄に過ごした。皆大山に疎開すれば良かったと後になって思った。
高校も理数科が嫌いになった。小学校の延長だ。高校生の後半の夏休みに大岡山の東工大の夏期講習に行き、数学や物理の計算式を解く人達を見て驚いた。世にこんな人達もいるのかと思った。兄も苦労したらしいが、大変な受験勉強で京大に合格した。理科と数学で苦労した筈だが、何とか頑張って合格ラインに達したのだと思う。
私は老人になった今、戦争の影響を改めて考え直している。戦争さえなかったら変わったと思う。戦争のない時代に生まれたかったと思う。生まれ変わるとしたら、戦争のない国に生まれたい。算数を、理科を、基礎から学びたいと思う。八十一才になって初めてそう思うようになった。
生まれた時期が悪かった。不幸な時代に生まれ合わせたのだ。
残された日々を悔いなく生きるため、私は思い切り本を読み「高津物語」に書き込んで死んでいきたいと思う。母が九十六才まで生きた。私もそれまで生きたいと思う。高津物語は生きている限り書いていきたいと思っている。私の分身だからだ。戦争はいびつな人間を作る。
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