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高津区 コラム文化

公開日:2018.11.16

連載第一〇七〇回「溝口駅前の変わり様」
高津物語

 この所極めて多忙な毎日を送ってきている。



 病気が癒えてから今日まで、忙しい日々で、八十二歳の老後はこんなものかと観念している。



 忙しくなった原因といえば、歩くことを生活に取り入れたことである。



 歩くと言っても、私の郷土史の知識を駆使して説明しながら歩くのだ。



 遣ってみると、健脚は私自身であり、何時も先頭を歩いているのを、気付いて、吃驚していて、「脚が丈夫ですね」等と褒められると、頭にのこって、歩き回っている。



 街歩きは、武蔵溝ノ口駅から始まる。待合場所の頭上にある円筒から、説明する。東急「溝の口」駅が、昔、池の上にあり「溝の口」、「梶が谷」、「鷺沼」の池を、定年後東急に就職した円筒分水を造った平賀栄治が、見事に川に流した為、それぞれ今日の駅舎となっている。



 梶が谷駅のトンネル工事も平賀栄治の仕事で、改めて平賀栄治に感謝をしている。



 「武蔵溝ノ口駅」の「武蔵」という余計な言葉が付けなければならない、後続の苦しみが始まる。



 東急は「溝の口駅」と「ひらがな」で、高津区役所は、溝口と漢字二字。



 キラリ・デッキの円筒分水の下から、東急溝の口駅の昔をひとくさり。



 「ケンタッキー」の前を歩いて「溝口の池」を暗渠にした後、「康友マーケット」に行けたこと。「ダルニー」の餃子のうまかったこと、等をなつかしく思い出す。



 駅前が変わっても、昔の位置が変わらないのは高津警察署の溝の口駅前交番の立地である。



 交番を起点にすると「ヤストモ百貨店」の位置も確認しやすくなる。



 その遥か前方に「ナカノパチンコ」「石原文具店」、「灰吹屋」、「味の大関」等があった。

 

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