大山街道歩きをしていて何が面白いか?と聞かれれば、街の変わり様を観るのが楽しいと答えることにしている。溝口キラリ・デッキには、溝口のまちのインデックスがふんだんにある。東急溝の口駅ホームが池の上にあった事を話した。梶が谷駅の湧き水の池「いけのやと」三つは溝口からの小川と末長で繋がった。面積八千三百平米深い所に二米あった池は「天水場」。お天道様恵みの水場で、末長の米づくりの命運を左右する命の水だった。この「池の谷」も一九六六(昭和四一)年田園都市線が長津田まで延長する際、梶ヶ谷に駅を造る約束と引き換えに池を埋め立てて工事に協力する事とし、記念の石碑が残されている。池の埋め立てには、戦中円筒分水製作に打ち込んだ平賀栄治が、定年後東急建設に再就職し、側面から指導した事は、意外に知られていない。東急溝の口駅直下の池の水と梶が谷駅、池の谷の水処理は平賀栄治の指導があって実現したものだ。辰の谷、と険しい山が連なっていたが池の谷を埋め立てたことで一挙に展望が開け、トンネル工事に発展したが、トンネルの幅が狭くて上下線二本の線路空問しか取らなかったのは、悔やまれる。これが為に「大井町線」は、溝の口で折返し運転の運命に陥っている。戦中の一時期、日本光学の本社工場のある大井町と川崎工場のある溝ノ口との連絡用私線だったと考えれば腹もたたないが、時代が変わっている。それにしても、またまたここで平賀栄治の名が出てくるとは、夢にも思わなかった。「池の谷」の水を抜いて、末長本村の方に流す…等と、簡単に言葉では言うけれども、技術的には大変に高度な技術を要したはずだったと思う。
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