連載第一〇七七回「溝口駅前の変化」 高津物語
溝口駅前は、再開発して変わった。戦前と変らないのは、駅前交番の場所だ。
「交番」だけ昔のまま。「交番」の手前に図書館、向こう側に「ヤストモ・マーケット」があった。「ヤストモ」とは靖国神社友の会の略称である。
肉屋の恒川さん、文具の石原さん、八百屋の八百長さん、時計の杉崎さん、書籍の島崎文教堂、洋品の黒川さん、写真機の持田さん等、皆さん地元の人達であった。
皆さん、靖国神社旧奉賛会の熱心な信奉者であった様である。靖国神社奉賛会員だからといって「ヤストモ・マーケット」が特別な活動をしていた訳ではない。
島崎文教堂がヤストモに入ったのも理由が分からないが、場所が良かったからだと思っている。
ヤストモ・マーケットとJR武蔵溝ノ口駅との間に道があったが、皆ヤストモの中を通っていた。
文具の石原さんは、その後溝口駅前に出て、最後は「旧溝口郵便局」のあった中央通りの一等地に移ることができた。
「多摩川ハイヤー」の待合所があった。この待合所が現在の「マルイ」入口に当り、丸井の入り口から「旧高津保健所」前に出て、久本方面に出た。
「高津保健所」のあった跡地は、現在はイトーヨーカドーの駐車場となっている。
パークシティも、戦争時は「日本光学川崎工場」第三、第四工場だった場所である。
これだけ発展した溝口駅前に、何故あの様な空地があるのか、戦前を知る者として、極めて不思議なことと思っている。
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