郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第12話 その3 長岡 榮子さん
◆中学、高校時代
国民学校の後は新制中学になりましたが、私は小学校卒業後、中学、高校は洗足学園に行きました。洗足は女子中学で、その頃女の子はほとんど洗足学園に行きました。公立の中学は荒れていたから心配だったと母が言っていました。東京から通っている方もいました。洗足学園は戦後移転して日本光学の工場跡に建てられたんです。
一学年に3クラス、1クラスは50人ほどでした。音楽は合唱が盛んでした。先生は個性のあるいい先生が多かったです。生徒を縛らない自由な校風でした。
◆就職、結婚
学校を卒業後、川崎からバスで田辺新田にあった大きな電機工場に勤めました。水力発電の機械を作っている会社でした。入社した時、日本の役に立つ仕事ができるんだと思って嬉しかったです。そのころ働く女性は BG(ビジネスガール)って呼ばれていました。お給料は6500円ぐらい。それが洗足学園の月謝と同額だと知って、無理して通わせてくれたんだなあって、親に感謝しました。昭和40年、30歳の時に、職場で出会った人(と言っても他社の方でしたが)と、結婚しました。我が家はそういうことには全く干渉しなくて自由でした。挙式したのは大井町にあった普通の結婚式場です。ウェディングドレスを着たんですよ。夫の会社の上司が仲人をしてくれました。
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4月26日