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高津区版 公開:2015年9月4日 エリアトップへ

高津物語 連載第九〇九回 「新鶴見操車場のこと」

公開:2015年9月4日

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 「横須賀線新川崎駅」に元JR助役・竹内雅明氏から校正の文章を頂戴した。

 新川崎駅の前身旧操車場の歴史は大正十三年(一九二五)一月に鉄道省(後の国鉄)による建設計画が決定し、同年三月に着工した。

 昭和四年八月に新鶴見操車場の第一期工事が完了、翌年三月に起工、昭和十二年十一月に第二期工事が完了した。操車場用地は御幸、中丸子、市ノ坪、苅宿、鹿島田、北加瀬、鶴見区江ヶ崎、矢向町、上末吉町にわたり二四万坪、長さ五八〇三m、幅は全長三〇八m、東洋一の規模を誇った。京浜地区最大の軍事上の大操車場計画だった。が現地の反対意見は強く、大正十四年十二月市議会は反対意見書を鉄道省に出した。が国策の為受理されないまま、土地買収と官舎建設に着手、北加瀬に坪三円で鉄道官舎七〇戸を建て、小倉は戸数八〇戸余、農地一〇〇町歩、約四分の一が操車場敷地となり、二〇戸の農家が移転させられ、鹿島田は農地六六町六反六畝の土地の中央を操車場が縦断、約四分の一が敷地となり、二〇戸の農家が移転した。当時駅を造る約束が今日の「新川崎駅」となったものだ。操車場は京浜工業地帯用の原料や製品を中継輸送し、昭和四三年頃の最盛期には毎日平均五千両の貨車を操作したが、十年後の五三年には二七〇〇両と次第に減少した。「貨車の方面別仕分けの為」従来は品川駅で行っていた作業の大部分を移したという。が作業は一日三交代制で、何百台の貨車を分別する労働の為、怪我をしたり、命を落とす人も出た。現在平間駅近くの操車場跡地、国鉄清算事業用敷地内に慰霊碑が建つ。新鶴見操車場は東北線、上信越線、常磐線、中央線、東海道線の各線や京浜工業地帯の貨物輸送に貢献した。と同時に戦時下の川崎市内軍需関係製品輸送や軍関係車両の運行に御苦労の事、唯々頭が下がる思いだ。日頃何気なく見ている操車場風景だが、その歴史は又戦中、戦後を通して波乱万丈の歴史が隠されている。JRの皆様に感謝だ。

 ―訂正―8月21日号掲載分の「新しい線路が敷設」を「品鶴線を利用」、「新鹿島田駅」を「新川崎駅」、「『横須賀線』新川崎駅」を「横須賀線の小杉駅ホーム」、3段目「JR側」を「国鉄清算事業団」に訂正致します。
 

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