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高津区版 公開:2017年6月23日 エリアトップへ

高津物語 連載第一〇〇一回「大山街道の医師達」

公開:2017年6月23日

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 高津地区の医師は、傑出した人物を輩出した割には盛り上がりに欠けていた。

 が、大山街道の溝口の次の宿、荏田宿(都築区)の医師たちは、高津地区のように傑出した人物が出ない代わり、研究心旺盛な地域医師団の結束があった。

 旧都築区は、町田、港北、長津田、中山、小机、港北ニュータウン地区等が都築郡であり、溝口と同じ武蔵国橘樹郡であった。

 都築区には【1】大山街道、【2】中原街道、【3】神奈川街道、【4】鎌倉街道(中の道、鎌倉から川和を経て府中に出る)が通って、交通の便が良かった。

 幕末には俳諧師、太白堂孤月が、大山街道を中心に仲間造りをはじめ、長津田、麻生、恩田等に俳諧仲間が生まれ、都築の岡の医師たちも、積極的に参加したらしい。

 旧都築郡は、ほとんどが無医村地帯であったが、豊かな農家の中から、江戸に近い利点を生かして、豊かな農家から江戸で医学を修めた、地域の医師が生まれている。

 長津田の大林寺は、河原元済(中川登元)、三保町の旧城寺は、刈谷世成。

 横浜新居留地まで馬で通いJ・ヘボンから直接教えを受け、高座・愛甲郡まで、往診した種痘医だった、という。

 小山町の観護寺は佐藤文成(高井元益)、川和町の瑞雲寺の近くには、前田道兄、藤作兄弟がいて、藤作は都築医学校の設立に努力したらしい。

 藤作の息子である、収治は、都築郡医師会の初期幹事を務め、後日、橘樹郡都築医師会の副会長を務めたという。

 日本医史学会の中西淳朗氏は「それほどこのころに登場する医師たちは、文芸、医術を通じて融和していたのだ」(『神奈川『県北東の医史績めぐり』日本医史学会神奈川地方会、横浜総合医学振興財団編』)で、研究心強い、地域の医師たちの活動時代を総括されている。

 大山街道の生薬屋は、溝口宿灰吹屋一軒だけだったから、それは繁盛した。
 

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