郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第16話 その2 関口 務 さん
◆小学校の思い出は
いろいろな先生がいました。中でも思い出に残っているのが、軍隊上がりのW先生です。このW先生には、とにかくビンタで張り倒されました。授業は子どもが多かったので、一時期午前午後の2部制の時もありました。先生も忙しかったと思います。
◆中学校の思い出は
橘中学に通いました。第2期生です。入学したといっても、新築校舎だけでグラウンドはガタガタ岩だらけで、私たちが整備しました。1クラスは50人ぐらい、女子がほんの少し少なかったけど男女半々くらいですね。
◆高校時代はいかがでしたか
機械が好きで、エンジニアになりたいという夢がありました。父も将来、技術を身につけた方が良いと、私が農業を継がないことに反対しませんでした。当時はアメリカを目標に、日本の経済発展は、凄かったですからね。大田区の工業高校の機械科に進みました。
◆町の様子は【1】
周りはほとんど農家でした。田んぼで米を作り、畑では野菜や麦を作りました。田んぼが足りないので、畑でも作れる米・陸稲(おかぼ)を作りました。お茶は畑の周りに植えたので末長では 30軒ぐらいに茶畑がありました。日本光学の社員寮が満州からの引き上げ者の寮になり、商店は「しぶや商店」だけです。いわゆる何でも屋さんで、酒、食料品、薪、練炭、豆炭などを売ってました。
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