市内寺分在住の伊藤槙紀さん(31)が、9月7日に開幕するリオデジャネイロパラリンピックの卓球競技・クラス11(知的障害を持つ人のカテゴリー)に出場する。長く日本のトップ選手として活躍しながら、これまでパラリンピック出場が叶わなかった伊藤さん。目標だった舞台を前に「頑張ってメダルを取りたい」と意気込んでいる。
遠かった夢の舞台
伊藤さんが卓球を始めたのは深沢中学校に入学してから。それまでラケットを手にしたことはほとんどなかったというが「団体競技はコミュニケーションが難しい部分があった。そこで先生からすすめられたのが卓球でした」と母・享子さんは話す。
すると才能はすぐに開花。競技を始めて3年目の中学3年生の時に、横浜で開かれた知的障害者卓球の全国大会で優勝。国際大会にも出場するようになった。
さらに2000年のシドニー大会で卓球競技が採用されたことから、パラリンピックへの出場も現実味を帯び始めていた矢先に、ある「事件」が起きる。
同大会の知的障害者の車いすバスケットボールで優勝したスペイン代表チームの選手の多くが、実は健常者だったことが後に判明したのだ。
これを受け「知的障害の基準が統一されるまで、クラス11は全ての競技を開催しない」という決定が下される。その後、04年のアテネ、12年のロンドンでは「公開競技」として卓球のクラス11が実施されたが、わずか6人の狭き門。伊藤さんは予選大会で普段の実力が出せず、出場権をつかむことができなかった。
それでも卓球にかける伊藤さんの情熱が衰えることはなかった。高校時代は卓球部がなかったため、横浜のクラブチームに通い、卒業後数年間は実業団チームを持つ川崎市の電子機器製造会社で働きながら、会社の練習場や横浜の卓球場で腕を磨いた。現在は都内のクリーニング会社に勤務しながら週5〜6回の練習を続けている。
試練の1年
ようやくパラリンピックへの道筋が整ったのは、ロンドン大会後。リオでのクラス11の開催が決定し、合わせて本大会までの3年間に国際大会で獲得したポイントを基に、8人の出場選手を選出することが決まった。
その後、夢の舞台を目指して、国際大会で好成績を残していた伊藤さん。しかし昨年は試練の年となった。年明け早々に手首の故障が発覚。練習量をセーブせざるを得なくなったのだ。
さらに卓球の公式球が従来のセルロイド製からプラスチック製へと変更されたこともプレーに影響した。
バック面に変化をつけやすい粒高ラバーを貼り、相手の返球が甘くなったところをフォアハンドで決めるのが伊藤さんのスタイル。しかし球の材質が変わったことで、最大の武器であるバック面の変化が出しづらくなってしまったという。
享子さんは「やっぱり槙紀はパラリンピックに縁がないのでは、と思ったこともありました」と振り返る。
そうした逆境にあっても、伊藤さんは昨年出場したスロベニアオープンでシングルス準優勝を果たすなど、順調にポイントを獲得。今年1月1日時点で世界ランキング4位に入り、リオへの切符をつかんだ。「これまでのポイントを計算し絶対大丈夫、と思いながら、1月1日は朝からタブレットを開いては閉じ、を繰り返しました。ようやく出場が決まり感無量です」と享子さんも笑顔を見せる。
五輪選手から刺激
リオ五輪開催中は、テレビで卓球日本代表選手の活躍を見て、大きな刺激を受けたという伊藤さん。「早く試合がしたい」と同じ会場で行われるパラリンピックに思いを馳せる。
とは言え「リオは初めて行く場所なので楽しみ。写真もたくさん撮りたい」と気負いはない。「代表選手みんなで力を合わせてメダルを取りたい。応援よろしくお願いします」と話している。リオパラリンピック卓球競技は、9月8日から開催される。
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