子どもの館の「雛のつるし飾り」を作り続ける 田代 賢代さん 松田町松田庶子在住 80歳
夢中になれる幸せ
○…まつだ桜まつりの期間中、子どもの館に展示される色とりどりの「雛のつるし飾り」。その大半を手がけ、2013年には高さ約5mの大つるし飾りを制作して周囲を驚かせた。「子どもの健やかな成長を願うつるし飾りは、子どもの館にぴったり。毎年少しずつでも数を増やして、来た人に楽しんでもらいたい」
○…山北町の農家出身。小学生の時に父を亡くし、農作業で忙しい母に代わって祖母が面倒をみてくれた。「祖母には編み物やそば打ちなど色々なことを教えてもらいました。厳しかったけれど、どの教えも後の人生で役に立ちました」。小6で終戦を迎えると、戦後の食糧不足で横浜などから「着物と米を交換してほしい」という人がよく家を訪れたという。「祖母は断った時も『はるばる来たのだから』と、麦飯をおにぎりにして渡すような人でした」
○…21歳で結婚して松田町へ。2男1女に恵まれた。
30代で婦人会に入会し、一緒に社会見学や盆踊りなどをした同年代の仲間とは、今でも交流が続いているという。13年程前に子どもの館で開催された体験講座で、つるし飾りと出会った。2004年に町内の主婦でつるし飾り教室「てずくな桃の会」を結成したが、ほどなく講師の体調不良で解散の危機に。パッチワークの経験やつるし飾りの習熟度から周囲に薦められ、講師役を引き継いだ。「みんなを困らせてはいけないと、必死で本を読んで勉強しました」と当時を振り返る。
○…少しでも時間があれば、つるし飾りを作る。「『ぼおっとテレビを見ているだけ』は性に合わない。常に手を動かしていたい」。日頃の積み重ねが5千個を超える細工物につながっている。「好きなものに巡り合い、それを続けられることが何よりの幸せ」。働く娘に代わりよく面倒をみていた一番下の孫が今年、成人式を迎えた。「これで5人全員。肩の荷が下りました」。やさしい微笑みは、きっと在りし日の祖母に似ている。