「『32番と言えば福永奨』と言われ、子どもたちに憧れられる選手になる」――。2021年のパ・リーグ王者オリックス・バファローズからドラフト指名を受け、少年時代に小さな心に抱いた夢を現実のものに。プロ野球選手としてスタートを切る若者が、淀みなく語る言葉の節々にその覚悟を感じさせる。
幼少期から父親の草野球について行き、野球は極々身近な「遊び」だった。上菅田小学校2年生の時に川島イーグルスに入団。多くの野球少年が胸に抱くのと同じように「プロ野球選手」に憧れた。ただ一つ違ったのはその熱量だろう。
今度は自分の番
春先には家族で宮崎や沖縄に旅行。プロ野球のキャンプを巡った。選手にもらったサインは今も実家に大切に保管している。「今度は自分の番。当時の自分がそうであったように、子どもたちにとってプロ野球選手は憧れ。プレーはもちろんのこと、ユニフォームの着こなしやバッティングフォームなども真似されるような、そんな選手になりたい」。これから一歩を記すプロ野球人生だが、頭の中には明確な地図がある。
抱いた危機感
中学時代は全日本チームに選抜され、高校時代は名門・横浜高校、大学は東都大学リーグの国学院大で中心選手として活躍。エリート街道ともいえる野球人生だったが、大学3年の秋シーズンを終えると、振るわぬ自身のパフォーマンスに危機感を覚えた。
「このままではドラフトにかからない」。これまで積み上げてきたスタイルを見直し、栄養学や心理学の観点からも自身の課題克服にアプローチ。「勝負の最終学年」になると手に取るようにその成果があらわれた。「4年生になって本当の意味での覚悟ができた」
「勝たせられる捕手に」
中学時代から捕手一筋。自身のストロングポイントを「冷静さと状況判断」と分析する。打者としての評価も高いが、思い描く理想の捕手像は「打てる捕手」ではない。その一歩上の「勝たせられる捕手」だ。
ドラフト会議後に行われた日本シリーズ。バファローズの激闘を伝えるテレビ中継を観戦した。「この場面ならこういう配球をする」。冷静に映像を見ながらも、頭の中では、扇の要のポジションにつき、キャッチャーミットを構えていたのだろう。
「32」のナンバーが入ったユニフォームに袖を通し臨んだ入団記者会見で「福永奨という人間をアピールしていきたい」と語った。「人と同じ」ということを好まない、ブレず、流されず、その「人間力」が最大の武器になるだろう。
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