山北町鉄道公園のD52復活事業を担う 恒松 孝仁さん 山北町山北在住 60歳
SLにとりつかれた男
○…120年の歴史を持つ鉄道の町、山北町で進む「D52奇跡の復活」事業で、蒸気機関車(SL)の再生を託された。昨年末からの車両整備で、山北町鉄道公園にたたずむSLに新たな命を吹き込む。この仕事のために”真田丸”の舞台でもある群馬県沼田市から山北に住み込み、妻と助手の3人で作業にあたる。油まみれの日々は間もなく3カ月。今月末の納期へ向け、いよいよ大詰めを迎える。
○…「これは無類の極上品ですよ」とその保存状態に太鼓判を押す。機関車を動かすための作業は大半が部品の手入れ。その数は千を超える。「これだけのもの。ある意味仕方ない。だいぶ持ってかれちゃっていますよ」。名機ならではの数奇なエピソードもどこか誇らしげに聴こえる。「国内最大のD52が動くとなれば、そりゃあ全国から人が訪れます。それだけの代物ですから気合も入りますよ」と力が入る。
○…1955(昭和30)年、長野市生まれ。同市南部、篠ノ井の土手で蒸気機関車D51を見るのが幼い頃からの日課だった。「白い軍手の機関士がこっちを見ながら汽笛を鳴らしてくれた」。それが決定打となり、8歳で機関士になると決めた。「そりゃもう、SLにとりつかれていますから、高校へ行っていたらSLの廃止に間に合わないですから、15で試験を受けるんだと早くから決めていました」
○…中3の秋に満を持して国鉄を受験。翌春に庫内助手になった。機関助手を経て憧れの機関士になったのはSL廃止の1年前、まさにどんぴしゃりで夢をかなえた。1987(昭和62)年の分割民営化を前に依願退職したが2002年に憧れが再燃。独学で考案した圧縮空気によるSLの動態化に成功し、以来、全国5か所で「SL再生請負人」として実績を積んだ。思い出の場所は「上野駅16番線ホーム」。若かりし頃、列車を待つ初対面の奥さんに住所を聞いたのがその場所だった。乗務中の一目惚れだったのだとか。
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