山北町定住協力隊の隊長として町のPRに取り組んできた 山口 利一さん 山北町玄倉在住 67歳
目尻に笑いジワの年輪
○…左右の目じりに深い笑いジワがある。一日に何度も笑っていないと刻まれないほどのシワ。「人生は楽しく。やっぱり楽しいほうがいい。自分たちが楽しくなければ移住してもらえない」。山北町が力を入れて進める定住対策に、なくてはならない「定住協力隊」のメンバーとして8年間、町のために貢献してきた。この3月で隊長を退き、活動に終止符を打つ。「活動よりも、終わった後の一杯が楽しかったな」と笑う。
○…山北町の三保地区にある特定郵便局の元局長。祖父が昭和の初めに開設した郵便局で26年間勤務し、65歳で退職した。祖父も父も局長在職中に急逝している。父に至っては49歳の早世。当時は弱冠18歳で、告別式の当日が大学入試だった。「当然ながら落ちた」といいながらも、合格した大東文化大学に進学。4年間「遊んだ」という。小中と三保で過ごし、高校は山北高校。大学までは生まれ育った玄倉で暮らした。
○…1951年生まれ。大学卒業後に小田原郵便局に就職し、茅ヶ崎へ赴任。当時の上司と「けんかして」地域の特定局を経て、祖父と父が局長を務めたふるさと三保へ戻った。「思ったことは主張して引かない。喧嘩っ早くてじっとしていられない」と自己分析する。スキーにゴルフ、ロッククライミングにソフトボールとスポーツは観るよりも「やるほうが好き」。飲み歩きが好きで、迎えは奥さんに任せている。「退職金から一生分の送迎代を渡してある」とか。
○…山北町は2010年から定住移住対策に力を入れてきた。その当初から行政と二人三脚で活動し、「楽しくやってきた。楽しく活動することが何よりのPRになる」と、各地に出張した。この3月に東京で暮らしていた長男家族が松田町へUターンしてきた。長女と次男にも子どもがいて孫は5人。「男ばっかり5人だけど上出来だね」と、また笑った。山北町玄倉で愛妻と二人で暮らしている。
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