日本人と労働【1】 「成果第一」の経営者 元全日本労働総同盟 国際局長 相原正雄
今号から日本の労使関係構築に長年力を注いできた井土ヶ谷下町在住の相原正雄さん(83)による新コラム「日本人と労働」がスタートします。自身の体験で感じたこと、伝えたいことなどを月に1回掲載する予定です。
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戦後70年が経ち、戦争や平和について、あらためて考えることが多いですね。
私は中学2年の戦争末期、学徒動員で海軍航空隊の通信機器の仕事をしていました。学徒動員とは、第二次大戦末期に日本が労働力不足を補うため、学生が軍需産業や食料生産に動員されたことを言います。
私の友人は、現在の青葉区にあった「田奈部隊」で高射砲の弾丸を作っていました。高射砲は敵航空機を打ち落とすための兵器ですが、上空1万mを飛ぶB29には弾が届きませんでした。
これは、当時の高射砲の設計技術の限界によるものです。しかし、学生を指導する軍の監督は「おまえらが精神を込めて弾丸を作らないから敵機を撃ち落とすことができないんだ」と成果(=敵機撃退)が上がらないことを学生のせいにしたと、友人から聞きました。
現代の労使関係において、利益などの成果が上がらないことを労働者のせいにする経営者がいます。自分の経営方針を顧みず、ろくに残業代も支払わずにひたすら「利益が出るまで働け」と労働者を使い、”成果”を求め続ける経営者の考えを、私は「戦時中の軍と同じではないか――」。そう感じてしまうことがあるのです。
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