日本人と労働【10】 最終回 "人材派遣"が支えた大名行列 元全日本労働総同盟 国際局長 相原正雄
国内の労使関係構築に力を注いだ井土ヶ谷下町在住の相原正雄さん(84)による月に1度のコラムです。自身の体験で感じたこと、伝えたいことを掲載します。
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世界初の労働組合ができたのは18世紀のイギリスと言われています。しかし日本には、17世紀に幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)が今でいう労働組合のようなものを組織していました。
長兵衛は江戸の大名屋敷の中間(ちゅうげん)の人を派遣し、賃金労働条件を交渉し、決定する労働組合の委員長のような存在でもありました。
大名行列を行う諸藩は経費節減のため、江戸に入る前に奴さんなどの供揃えを宿場の助郷と呼ばれる有力者に人材派遣してもらいました(その名残に井土ヶ谷には宿の前公園があります)。”アルバイト”の奴の紋所は大きな四角です。どこの藩にも使えるようにしました。四角の紋所はお豆腐の「冷奴(ひややっこ)」の語源にもなっています。
明治維新で藩がつぶされ、助郷が立て替えた日当などは未払いになりました。助郷が亡くなった時、大名からの借用書の束に驚いたものです。歴史転換の陰で苦労した人もいることを知っておいてほしいものです。
1年間、コラムのご愛読ありがとうございました。
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