日本で初めてサッカーW杯の衛星生中継で実況するなどアナウンサーとして活躍する 金子 勝彦さん 南吉田町在住 79歳
サッカーで世界の歴史語る
○…世界中が熱狂するサッカーワールドカップ。W杯が日本に初めて衛星生中継された1974年の西ドイツ大会決勝戦の実況を務めた。「貴賓席に各国の元首が並び、サッカーが世界のスポーツであることを実感した」と振り返る。
〇…別所付近で生まれ、大岡川でメダカやドジョウを捕まえていた子どものころは、のびのびと育った。横浜中、横浜高時代は漢文や古い教科書で国語力を身に付けた。偶然目にしたアナウンサー募集で大阪の新日本放送(現・毎日放送)に入社。野球中継などでスポーツ実況の腕を磨く。しかし、入社5年後の63年、国鉄鶴見事故で義弟を亡くす。翌年の東京五輪の中継担当が決まっており、サッカーを愛していた義弟は「五輪を担当するならサッカーをやってほしい」と望んでいた。事故後、落胆する義理の両親の姿を見て横浜に戻ることを決めた。
〇…翌年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に移籍。68年からサッカーの本場、イングランドプレミアリーグの試合を紹介する番組「ダイヤモンド・サッカー」を担当。義弟が夢見た海外サッカーを伝えるため、英国大使館で情報を集めたことも。「現地の言葉に近付けたかった」と「壁パス」を「ワンツー」、「センタリング」を「クロス」と言い換え、これらの用語が定着するきっかけを作り、番組は20年間続いた。「目の前のプレーを正確で簡潔な日本語で伝える」という信念は、CS放送でプレミアリーグを実況する今でも揺るがない。その功績が評価され、2012年に放送人として初めて日本サッカー殿堂入りを果たす。
〇…ブラジル大会でも古巣のテレビ東京の関連番組などに出演予定。「ベスト16以上もいける」と日本代表に期待を寄せる。「サッカーの歴史は世界の歴史そのもの」。生涯現役を貫く日本サッカー界の黎明期を支えた功労者は、日本の、世界の歴史を伝えるべく、マイクに向かい続ける。
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