全日本プロレスの象徴的タイトル、3冠ヘビー級の初防衛に成功した 曙 太郎さん 全日本プロレス(美しが丘西)所属 46歳
「根性」は背中で見せる
○…「もうプロレスは無理だろう」。一昨年にチャンピオンベルトを勝ち取った後、不整脈に襲われ、医者に告げられた。手術後、「これでは大好きな勝負ができなくなる」と、練習時間を短縮し、継続を重視する手法に変えた。美しが丘西の練習場には誰より早く行き、病気と闘いながら再び全日本プロレス最高峰のタイトルをつかみ、初防衛を果たした。「根性だけは負けない。今が一番強い」
○…ハワイ州オアフ島出身。高校生の時に「祖父の葬儀の日、突然スカウトされた」。18歳で渡日し、同じくハワイ出身の元高見山が親方を務める東関部屋に入門。家族や友人と離れた異国の地でのスタートだったが、20歳で幕下、2年後には大関昇進。その翌年、外国人初の横綱に。来日する際は「身長が高いという理由で一度は断られかけた」と振り返るが、若乃花や貴乃花とともに活躍、大相撲ブームを巻き起こした。
○…膝を痛め、32歳の若さで引退。親方に就任したが「わくわくドキドキ」を求め、格闘技のK―1に参戦した。「新しい世界で何かやりたい」。その一心だった。野獣と呼ばれたボブ・サップに1ラウンドでKO負けしたデビューから約12年。舞台をプロレスに移し、たとえ技術力で負けても「勝負をかけられたら受ける。売られた喧嘩は買う」姿勢でリングに立ち続けた。対戦相手は、競技中は敵でも、普段は練習をともにする仲間。「プロレスは愛がないと殴れない。皆大好きだから」
○…家庭では3人の父親。子どもと一緒に練習場でトレーニングすることも。「転身直後、子どもには恥ずかしさがあったみたい」と振り返るが、今は「パパ、一緒にジムに行きたい」と言われるように。「根性は言葉でなく行動で示す」というポリシーで、戦い続ける姿を見せてきた。「どこまでも礼儀正しく、正直に競技する。そのスピリットを持ち続けていれば、きっとお客さんにも伝わる」。横綱の精神は揺るがない。
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