神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
戸塚区版 公開:2019年5月1日 エリアトップへ

戸塚町在住・桝谷さん語る 「大踏切」から見た2つの時代

社会

公開:2019年5月1日

  • LINE
  • hatena
まったく年齢を感じさせない話しぶりで思い出を語る桝谷さん
まったく年齢を感じさせない話しぶりで思い出を語る桝谷さん

 かつて「渋滞の名所」として知られた戸塚大踏切のそばにあった「たばこや呉服店」。その末娘として昭和3年に生を受けた桝谷朝子さん(戸塚町在住・90)は、ほぼ1世紀にわたり、戸塚の移り変わりを間近で見続けてきた”生き証人”のような存在だ。改元を迎えたいま、桝谷さんが走り抜けてきた昭和・平成を、そして新たな時代―令和への思いを語ってもらった。

 桝谷さんの父が明治34年に吉田町に創業した「たばこや呉服店」。場所は現在の戸塚駅東口側にある「スポーツクラブNAS戸塚」にあった。「番頭さん、小僧さんがいてね。店の周辺からはもとより、平戸町やいまの泉区の中田の方からもお客様が来られた。賑わっていたのよ」と柔らかな表情で振り返る。商店街には、駄菓子屋、酒屋、下駄屋―など多種多様にそろっており、大勢の買い物客が足を向けていたという。当時の記憶として鮮明に残っているのが商店の売り出しを宣伝する「ちんどん屋」の姿。「ラッパを鳴らして練り歩くのをよく覚えているわね」と目を細める。

 末娘として大切に育てられた桝谷さんは、戸塚小学校卒業後、当時として珍しい、県立横浜第一高等女学校(現・平沼高校)に進学。青春時代を謳歌する。特に熱中したのがバイオリンだった。「素敵な先生が教えてくれて」と茶目っ気たっぷりに笑う。しかし、太平洋戦争の戦況が悪化するにつれ状況は一変、空襲が激しさを増すなか、鶴見区にあった菓子製造業社で戦地の兵隊に送る、携帯用のビスケットを作る動員に駆り出されるようになる。17歳で終戦。その後日本女子高等学院(現・昭和女子大)に進学した。24歳で結婚してからは専業主婦となり、息子二人を育て上げた。

吉田茂首相を目撃

 子育てがひと段落した平成になった頃からは、バイオリン教室を立ち上げ、30年間にわたって指導を続けてきたほか、話し方教室などでも指導にあたってきた。「私はやはり商人の娘。誰とでも垣根なく話せるんです」

 桝谷さんが忘れられない思い出の1つに戦後直ぐ、吉田茂首相が生家前で踏切が開くのを待つ姿がある。「高級車に乗っていたわね。イライラしているように見えた」と話す。それが戸塚道路(国道1号)の建設につながったという逸話は有名だ。

 時は流れ、大踏切は外され、戸塚駅前は再開発が終了、街の様子は激変していった。「私たちの生家は、10年ほど前、約110年で暖簾を下しました。この間、戦争はいけませんでしたが、文化が発展したのは素晴らしいこと。偉そうなことは言えませんが、これからの時代を担う若い方々には人間関係を豊かなものにしてほしい。お互い素敵に生きて行きましょう」とエールを送った。

いまは姿を消した、懐かしい大踏切(=坂本写真スタジオ提供)
いまは姿を消した、懐かしい大踏切(=坂本写真スタジオ提供)

㈱横浜建材工業

屋根と外壁のプロ 屋根の無料点検実施中。瓦一枚からでも!

https://yokoken.com/

<PR>

戸塚区・泉区版のトップニュース最新6

硬式野球全国大会で金

戸塚中・河内さん

硬式野球全国大会で金

中本牧リトルシニア所属

4月25日

地球温暖化「考えて」

地球温暖化「考えて」

泉区が冊子を作成

4月25日

新区長に近藤氏

戸塚区

新区長に近藤氏

本紙に区政の展望語る

4月18日

新町名「ゆめが丘」誕生

泉区

新町名「ゆめが丘」誕生

大規模再開発が契機

4月18日

母校・明学の応援歌制作

スカパラ・茂木欣一さん

母校・明学の応援歌制作

戸塚で学生とお披露目

4月11日

開校式で新たな一歩

いずみ野小学校

開校式で新たな一歩

「学校の良さ2倍に」

4月11日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月25日0:00更新

  • 4月4日0:00更新

  • 3月28日0:00更新

戸塚区・泉区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

コラム一覧へ

戸塚区・泉区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月27日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook