鎌倉と源氏物語 〈第13回〉 極楽寺と『とはずがたり』の作者・二条
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
日本には王朝女流日記という素晴らしい文学の一分野があります。これは平安時代の貴族に仕えた女房や妻妾といった女性の日記で作者の本心が書かれています。高貴な有名人が登場するのも興味深い点です。
代表例に道綱母の『蜻蛉日記』、和泉式部の『和泉式部日記』があり、『源氏物語』の作者紫式部にも『紫式部日記』があります。
『とはずがたり』は鎌倉時代後期、第9代執権北条貞時の時代の作品で日記というより回想録(問わず語りの意)。貞時は第5代執権時頼の孫にあたります。
作者は京の後宮で後深草院の寵愛を受けた二条。院の后・東二条院の嫉妬で後宮を追い出され、出家して傷心の旅に出て鎌倉に来ました。二条は江の島に一泊し、鎌倉に入って「極楽寺といふ寺へ参りて見れば、僧のふるまひ都に違はず」と書きました。宮廷という京の文化の中枢に生きた二条の目に「違はず」と映った極楽寺。今の姿からは想像できません。
しかし昨秋、県立金沢文庫で開催された「忍性菩薩―関東興律七五〇年―」展に当時の極楽寺の「指図」が展示されており、キャプションに「桁行七間の仏堂に中門廊が付けられた、京都の密教寺院と同様の伽藍」とありました。
「指図」とは寺院で法要を行う際の設営図で、仏具や僧侶・参列者の位置を指し示すところから現代の「指図する」の語源になっています。はからずもここに、二条の記述が実証されたのでした。 織田百合子
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