鎌倉と源氏物語 〈第16回〉 朝廷と幕府の取り次ぎ役西園寺実兼は「雪の曙」
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
二条の恋人・実兼が関東申次の役職にあったのは、第8代時宗、第9代貞時が執権の時代でした。その間に2度の蒙古襲来があり、鎌倉では円覚寺が建立され、松下禅尼の実家である安達家が滅ぼされる霜月騒動が起きています。
朝廷と幕府の間を取り持ち、調整する関東申次のような人は頼朝の時代からいました。最初は公卿の吉田経房で、初代問注所執事三善康信は経房の配下として京から遣わされました。鎌倉で「河内本源氏物語」を作った源光行も同じく経房の配下です。
第4代将軍頼経の時代は父の九条道家が務め、道家失脚以降、西園寺家の世襲になりました。二条と恋人関係になった時期は実兼の関東申次就任2年目。まだ蒙古襲来の予兆もなく平穏な時代でした。
実兼は『とはずがたり』の中で「雪の曙」と記されます。これは実名を明かさないための朧化表現です。
二条と関係をもった男性は他にも2人いて、1人は「有明の月」。後深草院の異母弟で仁和寺の僧侶の性助法親王と考えられています。もう1人は「近衛の大殿」で、摂政・鷹司兼平です。父雅忠を亡くした二条を気遣い、後見するよう後深草院が取り持ったのでした。二条は「死ぬばかり悲しき」と記しました。
二条は後深草院の弟・亀山院にも関心をもたれて噂までたてられます。ゆくゆくこの噂がもとで二条は宮中を追い出されることになり、鎌倉への下向となるのです。
織田百合子
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