鎌倉のとっておき〈第36回〉 「鎌倉めぐり」と徳川将軍
年間を通して観光客で賑わう人気の鎌倉。姉妹都市には優れた歴史的遺産を持つ萩市、上田市、足利市、海外ではフランスの保養都市ニース市が名を連ねる。
しかし、鎌倉はもともと旅の目的地(観光地)だったわけではない。
歴史をたどれば、古くは飛鳥時代、「大化の改新」の中心人物、藤原鎌足が鹿島神宮に参拝する途中で立ち寄ったとの伝説がある。
また中世鎌倉では、女流歌人阿仏尼も『十六夜日記』に鎌倉訪問を記しているが、これも息子の相続争いを幕府に直訴するためで、今でいう観光目的ではなかった。
しかも鎌倉は、室町時代中期以降は衰退に向かい、戦国大名の先駆け北条早雲も「枯るる樹にまた花の木を植ゑそへてもとの都になしてこそみめ」と復興への志を詠んだほどだ。
鎌倉が観光地として脚光を浴びるのは、江戸時代、徳川家康(征夷大将軍)が源頼朝に傾倒し、源氏の末裔と名乗ったことで、鎌倉が徳川家の先祖の地、いわば「武家の聖地」となり、源氏の守護神、鶴岡八幡宮が篤く信仰されたことが大きい。
以降、かの徳川光圀が、上総から舟で金澤八景(称名寺等)を経て、英勝寺を宿に鎌倉各地を巡ったことなどから、「鎌倉めぐり」が一躍有名になり、武士の憧れとなっていった。
一方、江戸時代中期以降、鎌倉は庶民にとっても、金澤八景や江の島とともに、杉本観音や長谷観音を巡る寺社詣でや、名所旧跡を訪ねる物見遊山の旅先として人気を博していった。
石塚裕之
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