鎌倉と源氏物語〈第25回〉 後深草院妃東二条院と鎌倉の後深草院二条
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
第八代将軍として下向されたのは、『とはずがたり』の作者・二条が14歳から後宮に入れられ寵愛された後深草院の皇子・久明(ひさあきら)親王でした。二条が宮廷を追い出された原因は後深草院妃・東二条院の嫉妬です。久明親王の母君は別の方ですが、後深草院妃としてその東二条院が親王の下向に際し、執権貞時の内管領として権力をふるう平頼綱(よりつな)に贈り物を届けてきます。それは五衣(いつつぎぬ)という五枚重ねの袿(うちき)用の衣(きぬ)でした。鎌倉の人は仕立て方を知りませんから困って二条に助けを求めます。
十二単(じゅうにひとえ)には襲(かさね)の色目という仕立て方の決まりがあります。二条が行ってみると、それが無視されたとんでもない具合の仮縫い状態になっていました。思わず二条は「などかく」と言ってしまいます。二条は内心おかしいのをこらえて直したのでした。そこに執権貞時からも「将軍御所の室礼(しつらい)の準備も見てほしい」とお呼びがかかり、それも二条はこなしました。
五衣のことで訪れたのは平頼綱の屋敷です。そこは金銀錦玉をちりばめ輝くばかりに贅を尽くした邸宅でした。ですが、ここで会った頼綱を二条は、堂々として立派な風采の奥方に比べ「やつるる心地しはべりし」と書いています。後深草院や西園寺実兼(さいおんじさねかね)など一流の男性を恋人にもった二条の目にはどんな男性も適わないでしょう。
織田百合子
|
|
|
|
|
|