鎌倉のとっておき <第39回> 鶴岡八幡宮と石清水八幡宮
鎌倉幕府の象徴と言える鶴岡八幡宮は、平安時代中期に端を発した。頼朝から数えて、5代前の頼義が、奥州の叛乱・前九年合戦を鎮める際、京都の石清水八幡宮で戦勝を祈願し、勝利を収め、康平6年(1063)に石清水八幡宮の分霊を鎌倉の由比郷に祀った。頼義の子、頼家は石清水八幡宮で元服して「八幡太郎義家」と名乗った。その頃より源氏の守護神とされ、源氏の武士が諸国に八幡神を勧請して、八幡信仰は広まった。
石清水八幡宮は京都市南部の八幡(やわた)市にある男山(おとこやま)、標高123mに鎮座する旧官幣大社である。本殿へ続く坂道は上り甲斐のある道で、ケーブルカーでもつながっている。本誌でも連載中の、恋多き宮廷の女房だった二条もたどった坂で、後深草院によって宮廷を追放されてから6年後に訪れた二条は偶然にも院の御幸に行きあい、招き入れられて春の一夜に昔を語り明かしたという。また、男山は竹の産地で、エジソンが白熱電球のフィラメントに使用したことで知られている。そして、「松花堂弁当」の名の由来となった僧・松花堂昭乗の住居跡などもある。
頼朝は石清水八幡宮への参拝も重ねている。そんな深い崇敬の念は北条・足利氏へも継承されたのだと思う。
鎌倉と縁ある土地を訪ねてみるのも視点が変わって面白く、新たな発見があるかもしれない。
北嶋翼
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