鎌倉と源氏物語〈第29回〉 『万葉集』の仙覚と北条実時
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
『万葉集』の歌約4500首は万葉仮名(まんようがな)で書かれているために、訓点をつけないと読み下せません。古くからその作業がなされていて、鎌倉時代には152首が残っていました。それに訓点をつけたのが仙覚(せんがく)という学僧です。鎌倉の比企谷においてでした。
比企谷は、伊豆に流された源頼朝に20年間仕送りを続けた乳母の比企尼に、鎌倉幕府を開いた頼朝が与えた谷戸です。現在、妙本寺が建っています。比企尼の甥の比企能員(よしかず)が家督を継いで館が建っていました。能員の娘の若狭局が第二代将軍頼家の側室となって一幡(いちまん)を産んだために、一幡が第三代将軍になると、能員が外戚の座につきます。それを防ぐために北条氏が比企氏を滅ぼしたのが比企の乱です。第三代将軍には実朝がなりました。
仙覚はその比企の乱の年に誕生しました。13歳で『万葉集』の研究を志し、44歳の時にそれが叶って152首に訓点をつけ終えました。それは第四代将軍頼経(よりつね)に命(めい)を受けてのことでした。将軍御所と鎌倉幕府の間をつなぐのが小侍所別当という役職です。この時の別当が「尾州家河内本源氏物語」の奥書に名を残す北条実時(さねとき)でした。 織田百合子
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