鎌倉と源氏物語〈最終回〉 鎌倉幕府滅亡と「尾州家河内本源氏物語」
「武士の都」鎌倉と『源氏物語』との知られざる関係をひも解いてきたこのシリーズは今週で最終回となります。
仙覚(せんがく)が最後まで残っていた152首に訓点をつけた『万葉集』は「西本願寺本万葉集(にしほんがんじぼんまんようしゅう)」という写本で伝わりました。料紙や大きさなど装丁が、北条実時(さねとき)の奥書がある「尾州家河内本源氏物語(びしゅうけかわちぼんげんじものがたり)」と同じなので、二つの写本は同じ時代に一人の人物が制作したといっていいでしょう。詳細は省きますが、私はそれが宗尊(むねたか)親王だったと思っています。そして、この時も実時が小侍所別当でした。
仙覚が宗尊親王に『万葉集』を献上した時、親王は自身が持つ『源氏物語』と仙覚の『万葉集』をもとに、二つの立派な写本を作ろうとされたのだと思います。
しかし、突然親王が幕府によって更迭になり、未完成の二つの写本が御所に残されました。それを整理したのが実時で、仙覚に「西本願寺本万葉集」の完成を命じたのではないでしょうか。
実時が二つの写本を金沢文庫に収めたのでしょう。鎌倉幕府が滅亡した時に、二つの写本は持ち出されて足利将軍家のものとなり、幾多の変遷を経て、現在「尾州家河内本源氏物語」は名古屋市蓬左文庫(ほうさぶんこ)に、「西本願寺本万葉集」はお茶の水図書館の所蔵になっています。二つの写本は鎌倉が誇る知の遺産です。
織田百合子
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