鎌倉のとっておき 〈第51回〉 "結婚"の形、いま昔
新たな人生の門出、結婚。年間60万組を超える新婚さんが誕生しているが、その形は時代とともに大きく変化してきた。
平安時代、結婚は男性が女性の家に通う「通い婚」が一般的。当時は一夫多妻制で、男性は妻を何人めとっても良いとされていた。
この「通い婚」について、吉田兼好は『徒然草』に「どんな女性でも、朝晩毎日見ていれば気に入らないところも見えてくる。かたや女性は、嫌われても一緒にいて世話をしなければならない。時々通い住む通い婚こそ、年月を経ても絶えない男女の仲になるのではないか。」と綴っている。
中世鎌倉では、武士はその所領地が一族の生活基盤そのものであり、結婚してもその土地を離れる訳にはいかなかった。こうした事情から、女性が男性の家に入り同居する「嫁迎え婚」が徐々に増えていったという。
当時の「嫁迎え婚」では、源頼朝の妻、北条政子のように、女性は結婚しても姓は変わらず、財産も自ら持つなど独立性が高かった。その後、家単位の財産相続が進む中、女性への財産分与が減るにつれ、「女性は武士を支える妻」という形へと変化していったようだ。
時を経て、江戸時代には「嫁迎え婚」が一般的になり、さらに身軽に動ける町人の中には、どちらの家にも入らない現代的な「独立婚」も見られるようになったという。
仲も睦まじい老若男女が集う古都鎌倉。ここは人々が共に歩んでいく幸せをかみしめられる街でもある。 石塚裕之
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