鎌倉のとっておき 〈第61回〉 文学散歩 太宰治
鎌倉は明治以降、多くの文人たちが住み、愛され続けてきた街である。
その文人たちが残した肉筆原稿や日記などが見られるのが、長谷にある鎌倉を代表する別荘建築の鎌倉文学館。季節ごとに色々な展示があり、昨年秋には「鎌倉時代を読む」の特別展が開催された。ボランティアで日本語を教えている知り合いの米国人留学生が大の太宰治ファンということで、「右大臣実朝」の肉筆原稿を見に一緒に出掛けた。
何か雑で精神不安定なところが字体に現れている感じ。そばに展示の鎌倉在住でもあった芥川龍之介の繊細緻密なそれとは、好対照な印象を受けた。まだ秋薔薇が咲き誇る文学館を後に、由比ガ浜から江ノ電に乗り、腰越の小動岬へ向かった。
太宰は鎌倉に住んでいたわけではないが、まだ学生で世に作品も出していない頃、最初に睡眠薬を服用して心中事件を起こした場所が、小動岬下の畳岩だった。太宰にとって鎌倉は、大変因縁深い場所であり、またこの事件を題材に、ちゃっかり小説「道化の華」も書いている。岬のすぐ近くには、太宰と相手の女性が心中の後、担ぎ込まれた慧風園(当時は結核療養所、現在は胃腸病院)が今も残る。
この病院が無かったら、太宰は助からなかったかも知れず、数々の名作も生まれてこなかったのかと思うと、感慨深い。留学生のおかげで、良い文学散歩の一日となった。
横山雅樹
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