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鎌倉のとっておき 〈第126回〉 鎌倉と御家人〜佐竹氏〜

掲載号:2022年2月18日号

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佐竹屋敷跡の石碑が建つ大寶寺
佐竹屋敷跡の石碑が建つ大寶寺

 源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、鎌倉には御家人達が集住した。今回取り上げる佐竹氏も鎌倉と関わりの深い一族である。

 佐竹氏は源頼朝と同じ河内源氏の流れを汲み、八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光を祖とする。義光は常陸国の争乱を治める為、京都から坂東へ下向すると常陸平氏の娘を嫁に迎え、やがて子孫は常陸国久慈郡佐竹郷(現在の茨城県常陸太田市)に根付いた。この地は関東と奥州を結ぶ要地で、佐竹氏は奥州藤原氏と結びつきを強めていく。

 治承4年(1180年)8月に源頼朝が挙兵し、南関東を影響下に置くと、同年11月、奥州藤原氏と繋がる佐竹氏を攻撃した。この合戦に敗れた佐竹氏は勢力を大きく削がれてしまう。しかし後に源頼朝による奥州藤原氏征伐に従軍し、以後は将軍家に従った。

 鎌倉における佐竹氏の屋敷は、大町の大寶寺付近にあったとされ、境内には新羅三郎義光の墓が伝わる。また山を隔てた八雲神社(大町)は、かつて佐竹屋敷の祠を合祀したことから「佐竹天王」と称していた。

 戦国時代に北関東から南奥に大勢力を築いた佐竹氏だが、関ケ原の合戦で立場を鮮明にできなかったため、出羽国(現在の秋田県)へ転封となった。そして久保田城を築城・城下町を整備し、現在の秋田市の礎を築いた。

 このように幾多の苦難を乗り越え中世と近世を生き抜いた佐竹氏。その名族の痕跡は今も鎌倉の大町に刻まれ続けている。     浮田定則

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