南区内を本格的に鉄道が走り始めて2014年で100年になる。路面電車の横浜電気鉄道から始まり、横浜市電を経て地下鉄に続く鉄道が南区民の生活を支えてきた。「区民の足」として走る市営鉄道の足跡をたどる。
1872年、国鉄が日本初の鉄道を横浜―品川間で走らせた。市内を路面電車が初めて走ったのが1904年。民間会社の「横浜電気鉄道」が神奈川駅前から現在の桜木町駅にあたる横浜駅前の間で開業した。
大岡川沿い走る
同鉄道は本牧や八幡橋方面に路線を延長。1913年9月には駿河橋(現在の阪東橋公園そば)―お三の宮間に「大岡川線」(後に「弘明寺線」と改称)を開通させる。14年9月、お三の宮から弘明寺まで延長し、大岡川に沿う形で南区を縦断する路線が開けた。車両は1両で40人乗り。当初の運賃は3銭。当時、映画は20銭で見られた。次第に値上げが続いたが、市民の反発が大きく、21年4月、横浜市が同鉄道を買収。「横浜市電」が誕生した。
震災復興支える
23年9月の関東大震災で市電は保有する車両の6割が焼失する大きな被害を受けたが、2カ月後に日本橋(現在の吉野町、新川町付近)―弘明寺間で営業を再開。震災からの復興を図る区民を支えた。
30年には、湘南電気鉄道が黄金町―浦賀間で営業を始め、区内を市電以外の鉄道も通るようになった。
45年の横浜大空襲で再び市電は被害を受けたが、終戦後、市民の足として大きな役割を果たした。乗客数も増え、56年に通町一丁目から保土ケ谷橋を走る「井土ヶ谷線」が生まれ、市電は市内合計で約52Kmを走り、最盛期を迎える。
しかし、マイカーの普及で車が増え、渋滞で市電の運転がダイヤ通りに行えないことが多く、客離れが進んだ。66年から部分的に路線の廃止が始まり、弘明寺線と井土ヶ谷線は68年9月に廃止。72年4月に市電はすべて姿を消した。
その8カ月後に市営地下鉄が登場。12月から伊勢佐木長者町―上大岡間で営業を開始。地下鉄最初の車両は蒔田駅付近の地上から搬入された。
地下鉄は阪東橋駅から弘明寺駅まで、市電が走っていた場所をなぞるように通り、今でも南区民の重要な移動手段になっている。
市民が記憶残す
廃止から40年以上が経過する中、昨年、市電の記憶を記録に残そうという市民による「しでんちゃんプロジェクト」が始まった。沿線のまち歩きや周辺住民へのインタビューを行っている。メンバーの一人で大学生の大西智樹さんは「いろいろな人の話を聞くと乗りやすく、愛された電車だと感じた」と話し、これからも記録を続けるという。
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