市立井土ヶ谷小学校(伊藤雅代校長)には、同校出身で2011年に亡くなった児童文学作家、長崎源之助さん(享年87)から贈られたエノキの木がある。同校は、70年前に広島に投下された原爆に耐え抜いたエノキの「3世」にあたるこの木を通じ、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ごうとしている。
児童文学作家・長崎さん
エノキは同校の前身にあたる井土ヶ谷尋常小学校卒業生の長崎源之助さんが「子どもたちに平和を伝えたい」という願いを込めて09年2月に贈った。このエノキの「祖母」にあたる木は広島市にあり、70年前に原爆を受けながら奇跡的に生き残った後、13本の「2世」を誕生させた。2世は全国に植樹され、福岡県の小学校で育てられたエノキから生まれた「3世」が同校に植えられた。
長崎さんは09年に同校で行われた植樹式の知らせを入院先の病院で聞いた。妻の和枝さん(井土ヶ谷中町在住・88)は、「(植樹が)嬉しかったようで、その時はエノキの話を長くしていた」と振り返る。
エノキは平和の尊さを訴える同校の「シンボルツリー」として、栽培委員の児童らを中心に大切に育てられた。当初、高さ1mだった木は3m以上に成長。昨年、同校が設立80周年を迎えた際には、エノキの横に石碑を建立。石碑には「平和の心と命の大切さを養ってほしい」という長崎さんの思いが刻み込まれた。
伊藤校長は、「児童はエノキのおかげで長崎さんという『先輩』がいたことが胸にしみついている。70年が経ち、戦争を伝える術がなくなっているからこそ、木を大切にしたい」と語る。
植樹で全国に広がる
戦後、長崎さんは故郷に戻り、井土ヶ谷小近くで文房具などを販売するかたわら、多くの児童文学を執筆。1970年には自宅の一部を改装し、私設図書館「豆の木文庫」を開放。06年まで多くの地域住民が利用した。著書には、被爆して傷つきながら生き続けたエノキの木を守る子どもたちを描いた「ひろしまのエノキ」など、戦争の悲惨さや命の尊さを訴える作品も多い。
長崎さんの思いを受け継ぐエノキの植樹は全国に広がっており、長崎県で被爆した子どもたちとのエピソードを記した長崎さんの遺作「汽笛」の舞台になった大村海軍病院(現・国立病院機構長崎医療センター)には、8月8日に「被爆エノキ3世」が植えられた。
妻の和枝さんは「(夫は)心の中に平和と命の尊さに対する信念を持っていた。次世代を担う子どもたちに知ってもらえたら」と願う。
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