日蓮宗樹源寺 権住職 日比宣仁(ヒビセンジン) 連載38 法話箋 〜鹿苑〜 「根本分裂と仏教哲学の黎明(れいめい)」
釈迦在世(前五〜四世紀頃)のインドには未だ貨幣文化は浸透していませんでした(最初の普遍的な貨幣は前三七四※註1)。貨幣は必需でない故に、釈迦は仏教教団のルールとして「不応受取金銀※註2」と述べ、出家者が在家の信徒から金銭を布施として受け取ることを禁じました。そのような取り決めは釈迦没後一〇〇年程続いたようですが、前三世紀頃にはインドも貨幣社会となり、仏教教団内では出家者が金銀の布施を受け取ることを可とするか、不可とするかの意見が対立しました。不可とする人達は保守派の上座部(じょうざぶ)、可とする人々は革新派の大衆部(だいしゅぶ)へと分裂しました(根本分裂(こんぽんぶんれつ))。金銭所持の可不可のみならず、釈迦の教えに対する解釈の分化等(など)も根本分裂の引き金となりました。こういった分裂は、後の多様な仏教哲学形成に繋がるのです。註1ユバル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社、二〇一六年)参照。註2『四分律』巻五四(大正二二・九六九頁上)
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