広島・長崎の「原爆の日」に合わせ、被爆者が子どもらに体験を語る「平和のつどい」が7日、ココファン鶴見で開かれた。鶴見区親と子の原爆パネル展実行委員会主催。
町が消えた日
20歳の時に被爆した西冨房江さん(93)=港北区在住=は広島の爆心地から5・5Km離れたところにいた。軍に務めていた西冨さんは、朝礼終わりに自分の席に座って筆箱を机に置いた。その瞬間、ものすごい風が吹き、窓の外に原爆を見た。その時の様子を「まんまるい、真っ赤な、綺麗な太陽が落ちてきたように感じた」という。とっさに向けた背中には強い熱線を受け、「火傷した」と強く感じた。
後日、町を歩くと、見ないようにしても死体がごろごろ目に入った。「町そのものがなくなっている」と思った。父親は高熱を出し、食事をとれず、苦しんでこの世を去った。西冨さんは「まだ姿があるまま亡くなったのは幸せな亡くなり方だったと思う」と話した。
記憶を後世に
日本原水爆被害者団体協議会の事務局次長である和田征子さん(74)=人物風土記で紹介=は、1歳10カ月の時に長崎で被爆した。当時の記憶はないが、母からずっと聞いてきた体験を後世に残すために話し手として活動を続けている。和田さんは「広島では14万、長崎では7万と言う人が亡くなった。核兵器はいらないもの」と強く訴えた。
また、獅子ヶ谷在住の横山年子(85)さんは1945年3月9日に経験した東京大空襲を語った。
当時浅草に住んでいた横山さんはバケツの水を頭から被りながら迫る火から逃げ惑った。空襲後、食糧がなく「カビが生えた食べ物も口にした」と振り返った。
区役所で8月6日から8日まであった親と子の原爆パネル展。「原爆と人間」をテーマに、1945年4月15日にあった鶴見空襲に関する資料や、原爆投下後の広島・長崎の状況を伝える展示が行われた。
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