鎌倉のとっておき〈第22回〉 国宝 金沢文庫
中世の鎌倉は現在より広く、北は山ノ内、南は小坪(逗子市)、西は稲村ヶ崎、東は六浦(横浜市金沢区)を四境とした。そして鎌倉の繁栄を貿易港として大いに支えたのが、東の端、六浦の港だった。
2度の蒙古襲来という戦禍があったにもかかわらず、当時の中国、宋や元との交易は途絶えることなく、その文物は、六浦の港から陸揚げされ、朝夷奈切通を通って鎌倉にもたらされた。
鎌倉に入った文物のうち、海外の進んだ思想・文化等を伝える書籍類は時の幕府に重用されるとともに、それら多くが1275年、金沢北条氏(実時)により鎌倉の東、六浦の荘に建立された「金沢文庫」に集められた。
「金沢文庫」は日本で初めて設立された武家文庫。鎌倉中心部にあった貴重な史料が数々の戦乱で消失したものの、「金沢文庫」に所蔵された書籍や文書といった資料は幸運にも戦禍を免れている。
以来、「金沢文庫」の文書類は徳川家康をはじめ、時の為政者に大いに活用され、政治・経済など、幅広い分野に多大な影響を与えてきた。
現在の金沢文庫は称名寺に隣接し、県の施設として運営されている。昨年8月には「金沢文庫文書」等約2万点、所蔵品の実に約9割が「国宝」になった。
金沢文庫には幕府の内情や、鎌倉仏教の発展、庶民生活の有様などを如実に物語る史料が、まるでタイムカプセルとして丸ごと保管されている。
750年の時空を超えて、今もその息吹を伝えている、そんな貴重な場所なのだ。
石塚裕之
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