海軍航空隊での戦争体験を語り継いでいる 織茂 領さん 日吉本町在住 91歳
「正しいことには突き進む」
○…自身の戦争体験を語り継ぐため、先日も日吉本町地域ケアプラザで講演を行った。「孫たちには戦争を味あわせたくない。自分の命は大切にしなくちゃ」。生死と隣り合わせだった当時を振り返って語られる口調は穏やかながら、その言葉には重みがある。
○…海軍航空隊に入ったのは1943年、21歳のとき。「飛行機に乗って、上から眺めてみたかった」。めきめきと技術を身につけ、翌年には飛行予備生徒の指導にもあたった。当時は体を痛めつける制裁による指導が当たり前の時代。「こんなことでは生徒を育てられない」と思い、制裁禁止を進言。先輩たちからの反対を受けたが、「力をつけることが大事。事故でも起こしたら大変だ」と説得した。終戦時は木更津で迎えた。切腹を覚悟したが、「隊長から『お前たちはまだ若い。これからの日本を背負って立つんだ。絶対に家に帰れ』と言われ、今の私がいます」。
○…帰郷後は母校である日吉台小学校の教壇に立った。「生き物が好きだったので、トリやサルなどの飼育を通して、命を大切にする教育を心掛けていた」。学校で起こったいじめ問題も当事者とじっくり話し合い、双方を納得させることで乗り越えたという。その後は綱島小校長などを経て、横浜市教育委員会に出向。病院からの依頼を受け、自ら名乗り出て、養護学校の校長にもなった。「病気を持つ子どもたちの学業について現場が悩んでいた。困っていると聞いて、ほっておけませんでした」。過酷な戦争体験で培った「正しいと思ったことはとことん突き進む」という思いは常に変わらない。
○…現在は教育委員会指導主事OB会などの顧問として活動。「会合などに参加して、元気な姿を見せることが今の生きがい」と話す。「武器を持たない国でいてほしい。戦うなら武器ではなく、ボールを持ってスポーツで競い合えばいい」と微笑む。平和を願う気持ちは誰よりも強い。
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