1964年東京五輪で日本バレー選手団36人の深紅のブレザーを仕立てた 藤崎 徳男さん 柏尾町在住 84歳
世の中変える五輪
○…「思わずソファから飛び上がった」。2020年東京五輪の開催が決定した瞬間、テレビの前で喜びを表した。1955年に全日本紳士服技術コンクールで農林大臣賞を受賞した腕を見込まれ、バレー選手団のブレザーを縫製したのは半世紀前。今も色あせず、型崩れもなく保管されている自身用の一着は「感動とともに後々に残れば」と関連団体への寄贈を決めた。
○…ブレザー作製でまず苦労したのは採寸。選手の肩は筋肉で盛り上がり、腕も太い。殺気立った練習場に出向き、踏み台を使いながら一人ひとりを細部にわたり採寸した。徹夜を繰り返しながら3カ月半で仕上げた。64年の東京五輪。開会式の選手入場では、最後尾の日本選手団が姿を見せると会場は地鳴りのような拍手で包まれ「自分も選手団に溶け込んでいるように錯覚した」という。敗戦から立ち上がった日本の姿、また自身の生い立ちが走馬灯のように頭を巡った。
○…現在の岩手県花巻市出身。早くに母を病気で亡くし、長兄は戦争で逝った。6歳で東京の洋服店に奉公に出ると、朝5時に起床し「職人の下着を洗濯、次に掃除…」といった毎日だった。67年に(有)藤崎を創立。主に船舶用ユニホームを手がけ、今では大手海運企業等との取引も多い。「自分を信じて挑戦することが好き」との言葉通り、店内には船員が使う「シーマンバッグ」の試作品が並ぶ。夫人と長男夫婦、次男、孫2人の7人家族。
○…「五輪は世の中を変える。日本が必ず良い方向に進む」と次期東京五輪に寄せる期待は大きい。50年前の経験から、経済はもちろん人の心、育まれる絆など、多くが好影響を受けると信じている。「それには五輪に向けて今盛り上がっているムードを逃さないことが大切」。時の証人はそう説き、「日本のノウハウを結集し、政治家も経済人も全力投球で大成功に導いてほしい」と7年後の日本にエールを送る。
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