〈連載〉さすらいヨコハマ㉟ 映画の中のボウリング場 大衆文化評論家 指田 文夫
戦後日本のレジャーの中で最も栄枯盛衰があったのは、ボウリングに違いない。1950年代の初め、文学座がテネシー・ウィリアムズ作の『欲望という名の電車』を初演した時、「ボウリングに行こう」という台詞は分からないので、「遊びに行こう」に変えたそうだ。
1960年ごろまで、東京でもボウリング場は数カ所しかなかったのだから当然だが、60年代中頃には全国に林立し、テレビでボウリング番組が放映され、スター選手も誕生した。老若男女の別なくゲームでき、室内で、習熟もあったことなどがブームの原因だったろう。職場でも懇親会として盛んに行われた。
1963年の篠田正浩監督の『乾いた花』は、池部良が南区・横浜橋周辺を縄張りとするヤクザ映画の傑作である。中で、敵対していた組のチンピラである佐々木功に、池部が襲われるシーンはボウリング場だが、横浜ではない。
横浜のボウリング場が出てくる映画は、園マリ主演の1968年の『夢は夜ひらく』で、彼女は県立図書館職員だが、歌が上手いのでクラブ歌手になるという凄い筋書き。ここで、敵味方が入り混じるのが山下町にあった横浜シーサイド・ボウルで、今のメルパルク(郵便貯金会館)である。
(文中敬称略)
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