2月に開かれた将棋大会の有段者部門で優勝した 権守(ごんもり)照雄さん 永田山王台在住 88歳
「運が強い」控え目な棋士
○…2月に港北区で開かれた身体障害者が出場する市内の将棋大会で初めて優勝した。約15年前に心臓病を患い、ペースメーカーを入れてから何度も挑戦してきた。「なかなか勝てず、いつも準優勝だった」と悔しさをにじませる。今大会は3回戦で劣勢を巻き返し勢いに乗ると、決勝は相手を寄せ付けない完勝。「運が良かっただけ」と謙遜するが、待ち焦がれた優勝に思わず笑みがこぼれる。
○…西区戸部町出身。幼いころは近くに公園や図書館があり、「遊ぶには良い場所だった」としみじみ振り返る。その後、太平洋戦争が開戦。15歳で少年飛行兵を志願したが「体が小さくて操縦士に向かず、整備に回った」と岐阜県の航空整備学校で飛行機の修理などをする整備士に。「操縦士はたくさんの人が亡くなった。(自分は)生き延びることができて運が良かった」と真剣な表情で語る。
○…終戦後は戸部に戻り、桜木町の自動車会社で働いた。技術者が少なかった当時、整備士として積み上げた経験は重宝され「給料が良い職場を転々としていた」と笑う。そのころ、休日は近くの将棋教室に顔を出した。強い相手を求めて都内に足を延ばすなど、努力の甲斐あって、アマチュア県大会で常に上位に入る実力を付けた。「勝つと何とも言えない爽快感がある。周囲の人から『強い』と言ってもらえるのが嬉しい」とその魅力を話す。
○…30歳で自動車部品の製作会社を起業。「しばらく経営に苦労したけど、何とか回転していた」。経営者としても手腕を発揮し、「息子3人、みんな大学を出すことができた」と誇らしげに語る。現在は妻と三男夫婦、2人の孫と6人で暮らす。栄養士だった義娘の料理は「野菜が嫌いな自分に合わせて、バランスの整ったものを作ってくれる」と微笑む。「運が強いからあと2年、90歳までは生きたい」。将棋を元気の源に、”控え目な棋士”は駒を握る手を緩めない。
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