〈連載〉さすらいヨコハマ⑮ 相撲と観劇 大衆文化評論家 指田 文夫
11月の大相撲九州場所は、日馬富士の優勝で終わった。
相撲というと、スポーツか神事か――の議論があるが、相撲は演劇だと言っている人がいる。国文学者折口信夫である。彼は『日本芸能史ノート』で、「相撲というのも演劇の一種で、神と精霊の戦い」であるとしている。事実、相撲の「中入り」、「千秋楽」などは、寄席や歌舞伎などと共通する用語だ。また、昔は土俵の周囲に四本柱があり、それを上部で幕が囲んでいるが、それは劇場のプロセニアムの一文字幕と同一起源であり、聖域と俗世の人間を隔てる境界である。
世界のスポーツで、相撲ほど不思議なルールの競技はない。土俵を出たら負け、あるいは土に手を付いたら負けは、リングに囲まれ、倒れてもカウント内で立てば良い、ボクシングやレスリングとは異なるものだ。要は、聖域を出るか、汚れた姿になったらば負けという極めて美学的なルールなのである。「八百長」も、相撲が演劇なので当然といえば当然のことともいえる。
ハムレットは毎日死に、ロメオとジュリェットは毎夜恋に落ちる。本来ありえないが、それは演劇が本質的に「出来レース」だからだ。本当に舞台で毎日死なければ嘘だという人はいないだろう。
2015年も千秋楽になりましたが、どうぞよいお年を。 (文中敬称略)
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