50周年を迎える横浜保土ヶ谷ライオンズの会長に就いた 池松 忠彦さん 68歳
「気負わず出来ることを」
○…1966年3月29日にライオンズクラブ国際協会から認証を受け、正式に発足した横浜保土ヶ谷ライオンズクラブ。半世紀に渡り奉仕活動を続けてきたクラブにとって大きな節目となる今年度、会長職に就いた。「気負っていない。会員全員が参加する形で出来る範囲の中で、節目の年を祝いたい」。柔和な表情で、言葉を選びながら話す姿が印象的だ。
○…生粋の「浜っ子」。野毛の電気工事店の長男として生を受けた少年は、ごくごく自然に「家業継承」を志した。大学で電気工学を学び、都内の大手電設企業に就職。4年間の「修業期間」を経て27歳の時に横浜に戻り、父親の元で現場仕事を中心に汗を流した。30歳代の10年間は若手経営者らが集う青年会議所活動にも参加。社長職に就いた40歳代の10年間は会社経営に没頭した。
○…「『井の中の蛙』だった。業種の枠組みを超えた交流を持とう」と50歳を超えてからライオンズクラブ活動にも携わるように。以来、17年に渡り、地域奉仕活動に精を出す。それまで過ごしたクラブの解散もあり、3年前に保土ヶ谷クラブに入会。「縁あって保土ケ谷で活動をさせていただいている。この街はさまざまな顔を持っている。大学もある文教地域で、自然も豊か。暮らしやすい環境だ」。保土ケ谷の魅力をそう話す。
○…「薬をほとんど飲んだことがないのが自慢なんですよ」。健康に対する意識が高く、帰宅時にスポーツジムのプールで体幹トレーニングに励む。現場仕事で体力勝負だった若い頃は「どんぶり飯派」だったが、ここ数年は野菜から口にする食生活を徹底。「生涯現役を貫くためには健康が第一ですから。体の調子が悪いとしっかりとした決断ができないんでね」。社長として社員とその家族の生活を背負う心の強さを感じさせる。柔和な雰囲気と芯の強さを持ち合わせたリーダーが、節目を迎えるクラブをけん引する。
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