杉久保善教寺 椿地蔵で供養会 悲運の娘の昔話が今も伝わる
杉久保の椿地蔵でお彼岸の中日に当たる秋分の日の9月23日、善教寺の中西謙司副住職と同寺の檀家らによって「御供養念仏会」が行われた。椿地蔵の椿は花を咲かさずにつぼみのまま落ちてしまうことから「玉椿」と呼ばれ、海老名の昔話として語り継がれている。
今から300年ほど前の元禄時代、2月の寒い風の中、さる武家の母娘が娘の病を治そうと江戸から名医・半井驢庵(なからいろあん)を訪ねてきた。しかしその道中、杉久保にあった千躰寺の門前で娘が病に倒れ、そのまま息を引き取ると、娘を不憫に思った村人たちは、地蔵堂を建て椿を供えた。
やがてその一枝が根付き成長したが、椿はつぼみをもっても花が咲かずに落ちてしまうことから「若くして花さくこともなく亡くなった娘の心が椿に宿り花が咲かないのだろう」と話し合ったという。
現在この場所には地元住民らが1974年の280回忌に建てた石碑がある。「千躰寺との関係は不明だが、同じ浄土宗だったのでは。そのため廃寺になった千躰寺に換わり供養をするようになったのかもしれない」と善教寺の井上祥倫住職。供養に訪れた女性は「先祖代々大事にしている。困ったことがあるとすぐ足を運ぶ」と手を合わせていた。
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