鎌倉のとっておき 〈第82回〉 鎌倉と御家人〜茂木氏〜
源頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると、御家人達が集住し、やがて各地の所領と関係を深めていった。今回取り上げる茂木氏も鎌倉に勤仕していた一御家人である。
茂木氏は、鎌倉幕府創成期の有力御家人八田知家の子・三郎知基を祖とする。知基は父より下野国(現在の栃木県)の茂木郷を譲り受け、桔梗城(今の茂木城跡)を築いたといわれる。また武芸に優れ、「吾妻鏡」の建久6年(1195年)8月16日条に、鶴岡八幡宮で行われた流鏑馬において、頼朝から16人中11番目の射手に選ばれたと記録されている。さらに承久3年(1221年)に勃発した承久の乱でも活躍し紀伊国賀太庄(現在の和歌山加太)を与えられた。下野国茂木郷は代々子孫に相伝され、茂木氏が残した茂木文書には、茂木郷の所領を鎌倉幕府が安堵した正嘉2年(1258年)12月2日付け、宗尊親王の将軍家政所下文が伝わっている。茂木氏による茂木郷の統治は、鎌倉時代から戦国時代の終わりまで400年に及ぶ。これほど長期にわたる支配は全国的に見ても珍しい。地域を守り抜いた御家人だといえる。
茂木氏ゆかりの茂木町は、城跡を中心とした市街地が広がり歴史的な風情を今に伝える。鎌倉時代にはじまる各地とのつながりもまた歴史の魅力である。
浮田定則
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