ギターの弾き語りでボランティア活動を行う 藤田 清一さん 平戸在住 75歳
ギター一本、思うがままに
○…ギター片手に飲み屋を渡り歩き、客からお代をもらう、昭和の古き良き光景。「流し」を職業にしていた時に身に付けた、ギターの弾き語りで老人クラブや地域ケアプラザなどでボランティア活動を行っている。昭和30〜40年代の「あのころ」を思い出させる歌の数々に、参加者は懐かしさを感じ、耳を傾ける。「これで喜んでくれるなら、本当にうれしいことだよね」
○…中区(現・南区)中村町出身。家は八百屋を営んでいて、「中流以上」の生活を送っていた。しかし小5の時、戦争により父親を亡くし、親戚の家を転々とすることに。その転居先でうまくいかず、反発心から中3で家出。新聞の上で眠った日もあった。「自分で決めたことだったし、帰ろうとも思わなかったよ」。そんな過去を笑い話のように振り返る。その明るい人柄のせいもあってか、中華料理屋やパン屋など、職に困ることはなかった。
○…19歳の時、とある居酒屋で2人組の流しに出会った。「歌を歌って一生暮らせるなんて、いいなぁ」。そんな軽いノリで弟子入りを志願。流行歌を歌うことは好きだったが、ギターを弾いたことはない。先輩の見よう見まねで必死に練習。中区の飲み屋に片っ端から飛び込み、3曲100円で客のリクエストに応えた。5年間続けた中で一度だけ涙を流したことがある。目の前に、以前の職場の上司が客として座っていた。そして、一言。「頑張れよ」。「今でもわかんないけど、涙が出たんだよなぁ」。さりげない応援が、心に染みたのだろうか。
○…「フラフラしてきた人生」だが、そのおかげでいろんなことを学んできた。「この75年の人生で学んだノウハウが誰かの役に立てば」。思うがままに生きてきた人生。全てが良いことばかりではないが、ユーモアを持つことを常に忘れない。「まだ考えてないけど、墓石には『人生楽しかった』みたいなことを彫りたいんだ」。豪快な笑顔を見せた。
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4月18日