区内在住の中村一江さん=人物風土記で紹介=が、シベリア抑留を経験した父・故蓮井秀義さんの手記を妹と共に自費出版した。中村さんは、本を通して若い人たちへ戦争の悲惨さを伝えていきたいとしている。
記録はノート10冊以上
出版された『シベリヤの月 わが捕虜記』は、秀義さんが、抑留されていた4年間について、戦後短歌を織り交ぜながら綴ったノートなどをもとに作られた。
秀義さんは、1913年生まれ。結婚を機に満州へ渡り日本人小学校に勤務していたが、終戦直前の45年8月、32歳で召集。終戦後旧ソ連の捕虜となった。戦後、シベリアでの体験を子どもや孫に伝えておきたいと10冊以上のノートを書き残し、2012年に99歳で亡くなった。
記録には極寒の地でわずかな食糧しか与えられずに、大木の伐採や港の荷揚げなどの重労働に従事する日々が克明に書き留められていた。一江さん姉妹は、「このままではもったいない。大切な戦争の記録として残したい」と出版を決意。秀義さんの三回忌までに間に合わせたいと約1年かけて制作した。
涙で原稿起こす
本には秀義さんの帰りを待つ母・故ユリエさんの手記も収録されている。
ユリエさんは、結婚後秀義さんに伴い満州へ。戦地へ赴く夫を送り出すと間もなく、終戦を迎えた。その時傍らには生後間もない一江さん、そして次女・秀子さんを授かっていた。
終戦後の満州は旧ソ連が進軍し、中国人たちも反乱を起こすなど、混乱に陥っていたという。ユリエさんも家を失い身の危険に遭いながらも、幼子とともに生き延びようと、知人の手助けを受けながら、日本への引き揚げを目指した。
ユリエさんの手記をおこした一江さんは、「泣きながらパソコンに打ち込んだ」という。「母は強かった。私だったら連れて帰れただろうか。感謝したい」。ユリエさんは12年、95歳で亡くなった。
若い世代へ
一江さんは、戦争を知らない若い世代に読んでもらいたいと願っている。「父や母の体験から、戦争の悲惨さを知ってもらえたら」
税込1300円。問い合わせは、一江さん【電話】045・582・7183。
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シベリア抑留…第2次世界大戦後、旧ソ連軍の捕虜となった日本の軍人らがシベリアなどで抑留され、労働に従事させられた。
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