神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
鶴見区版 公開:2016年11月17日 エリアトップへ

旧国鉄鶴見事故 現場の地元 初の慰霊祭 岸四自治会 「悲劇語り継ぐ」

社会

公開:2016年11月17日

  • LINE
  • hatena
供養塔に手を合わせる住民
供養塔に手を合わせる住民

 鶴見駅と新子安駅間の滝坂踏切付近で発生し、161人が犠牲となった1963年の鶴見事故。戦後最悪ともされる鉄道事故を風化させまいと、現場付近にある供養塔で発生日の9日、岸谷第四自治会(持丸留久会長)が、はじめて慰霊祭を行った。「月日は供養塔を記念モニュメントに変えた。伝えていくことが地元の役割」と持丸会長は企画の意図を話す。

 鶴見事故は、1963年11月9日午後9時40分ごろ、東海道本線で脱線した下り貨物列車に、横須賀線の上下旅客列車が衝突した多重事故。

 発生現場付近、岸谷1丁目の線路沿いに建つ「国鉄鶴見事故遭難者供養之塔」は、遺族らにより建立された。現在は、JRと一部遺族が、慰霊碑のある總持寺で毎年同日に慰霊祭を行ったあと、献花に訪れるほか、JR職員が年4回ほど清掃しているという。

記憶の風化とめる

 事故後すぐは、自治会でも供養してきたが、住民の入れ替わりもあり、いつしかそれも途絶えてしまった。

 「発生から53年。昔から住んでいる人たち以外は、事故のことはもちろん、供養塔があることすら知らない人が多くなった」と持丸会長。地元も知らない無縁仏にせず、悲劇を後世に伝えようと、関係者以外では珍しい、地元主催の慰霊祭実施にいたった。

 当日は、地元住民ら約30人が出席。知人が犠牲となったという神奈川区在住の男性の姿もあった。住民らは、時折目の前を列車が走る中、供養塔に花を供え、犠牲者の冥福を祈った。

命の大切さ 子や孫へ

 発生当時から住む人たちの中には、悲惨な現場を目の当たりにしたり、救助活動を手伝ったりした人も少なくない。

 当時、生麦側に住んでいたという村本栄子さん(78)は、最初の脱線に気づき、衝突する瞬間を目撃した。「ものすごい音で、怖さでふるえた」と振り返る。

 乗客3人と共に救助にあたった眞生田一昭さん(74)は「何人か運び、足がない人もいた。朝方、明るくなって気づくと服が血だらけだった」と壮絶さを語る。

 慰霊祭当日、眞生田さんが事故翌朝に撮ったという8ミリフィルムの上映もあった。映像には、傾く車両のそばで国鉄職員や報道陣、やじ馬がごった返す現場の様子や、開通後に列車の乗客から花が投げられる様子などが映っていた。

 「悲しい事故があったことを通し、命の大切さを子どもや孫の世代にも伝えたい」と持丸会長。今後も継続していく考えだ。

鶴見区版のトップニュース最新6

国土強靭化の先導事例に

市場西中町防災対策

国土強靭化の先導事例に

住民主体の取組みを評価

4月25日

謝金、倍額に引き上げ

特別支援教育支援員

謝金、倍額に引き上げ

ニーズ発掘し、人員確保へ

4月25日

初挑戦で金賞受賞

佃野町「楽匠」

初挑戦で金賞受賞

「からあげグランプリ」で

4月18日

障害者診療「限界近い」

横浜市歯科保健医療センター

障害者診療「限界近い」

二次機関拡充求める声も

4月18日

鶴見区、50年後も30万人超

横浜市人口推計

鶴見区、50年後も30万人超

市全体は約2割減

4月11日

市が基本構想を策定

豊岡小再編整備

市が基本構想を策定

2032年度以降の竣工めざす

4月11日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 7月14日0:00更新

  • 7月7日0:00更新

  • 4月7日0:00更新

鶴見区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

ハープで名曲奏でる

みなとみらいホール

ハープで名曲奏でる

4月27日にコンサート

4月27日~4月27日

鶴見区版のイベント一覧へ

コラム一覧へ

鶴見区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月26日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook