開通50周年(溝の口〜長津田間)を今春迎える東急田園都市線沿線の開発に尽力した 西山 克彦さん 市ヶ尾町在住 79歳
心通わせ、未来を拓く
○…「田園都市の開発は、地域住民、行政、東急の三者の思いがピタッと合ったことが発端だった」。1953年に始まった東急電鉄の多摩田園都市の開発事業を、入社以来担当。直接交渉した地主は500人にもなる。開発について「農村だった時代、路線を敷き、まちをつくる決断をした昔からの地主さんの貢献が一番大きかった」と静かに語る。
○…南満州鉄道の技術者だった父と母の間に旧満州国で生まれ、小学生のとき日本に移住。スケートをしてよく遊んだ当時の思い出は広い道路や大きな公園のある風景だ。「日本人の都市計画で造られた大規模なまちに興味が湧いて。だから東急に入社できて嬉しかったね」と振り返る。仲間に「本当に好きだな」と言われるほど仕事に没頭した。
○…当時の主な仕事は地主から土地を買収かつ提供してもらう交渉をすること。藤が丘や市ヶ尾を担当したのは、まだ鉄道開通前の時代だった。山と畑に囲まれたこの地で「いずれよいまちになる」と将来のイメージを伝えるのは容易でなかった。それでも同社の開発の歴史から、必ず「いいまちになる」自信があった。地主が農作業を終える夜になると、勤め先の渋谷から毎日通った。「真剣だったし、裏切りたくない」。30歳以上年上の地主たちに話を聞き相談するうち、次第に気心の知れた間柄に。「あなたがずっとこの仕事をしてくれるなら、協力するよ」。地主からもらった言葉を胸に半世紀、開発に携わり続けた。
○…妻と2人暮らしの今、働きづめだった現役時代の分を「恩返ししないとね」と、買い物や炊事をこなし、現在障害のある妻を支える。今やるべきことは、まちがつくられた歴史を次世代に伝えることだと、青葉区内の小学校で話すことも多い。「熱心に聞いてくれるから楽しいね。こんなまちにしたいという思いを持ってもらえたら。30年先の未来まで、まちがつながっていくように」
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